1297年 永仁の徳政令を出す

平禅門の乱(へいぜんもんのらん)のあと、政治を主導するのは、 9代執権(しっけん)である得宗(とくそう)の北条貞時(ほうじょうさだとき)です。 彼にとってもっぱらの課題は、窮乏する御家人たちを救うことです。 そもそもなぜこのころの御家人がビンボーに苦しんでいるのかというと、 ・元寇(げんこう)ですごく頑張ったのに、満足なゴホウビがもらえていない ・分割相続(ぶんかつそうぞく)の…

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1285年 霜月騒動が起こる

8代執権(しっけん)・北条時宗(ほうじょうときむね)の時代、 元・高麗連合軍が二度にわたって日本を襲撃します。 1274年の文永の役(ぶんえいのえき)と、1281年の弘安の役(こうあんのえき)です。 日本はいずれにも勝利しますが、 また攻めてくるかもしれない…という軍事的緊張は解けず、 さらに鎌倉幕府は恩賞(おんしょう、ゴホウビのこと)のやりくりにも頭を悩ませます。 そんななか、…

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1281年 弘安の役が起こる

前回は、1274年の文永の役(ぶんえいのえき)を、ゴロ合わせとともにお届けしました。 元(げん)のフビライ=ハンが、日本に服属を求める国書を何度送るも既読スルーの連続。 1274年、ついにキレたフビライ=ハンは、およそ3万人(諸説アリマス)の軍勢を日本に送りこみます。 元と高麗(こうらい、元に服属中)の連合軍は、まず対馬(つしま)と壱岐(いき)を襲い、 さらに博多(はかた)に上陸して…

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