
奈良時代になると、縄文時代から続く竪穴住居が廃(すた)れ、
平地式の掘立柱(ほったてばしら)住居が普及しはじめます。
竪穴住居も平地式の掘立柱住居も、柱を直接ズボッと土に埋め込んで建てられたものです。
両者の決定的な違いはなにかというと、
竪穴住居がタテに穴を掘ってつくる半地下の住宅であるのに対して、
平地式の掘立柱住居は土を掘ることなく、地面そのものの上に生活する住宅だというところです。
この時代の結婚は、夜な夜な男性が女性の家に通う妻問婚(つまどいこん)が一般的です。
子どもが生まれれば、お母さんの一族が養育します。
こういったことも相まって、女性の発言権が強い時代だったようです。
農民の負担はというと、それはそれは大変です…
まずは班給された口分田の耕作、そして租の納入です。
さらに、乗田(じょうでん、余っている公の田んぼ)などを1年という期限つきで借りて耕作し、
収穫の1/5を地子(じし、レンタル料)として政府などに納入する賃租(ちんそ)をおこなうことがあります。
そして、男子には調・庸・運脚、そして雑徭・兵役などが課せられます。
たいへん……
ほんとたいへん……
これにくわえて、日照不足や雨不足などの天候不順や、害虫などによって飢饉が起こることもあります。
ますますたいへん……
そんな農民の苦しみを描いたのが、
山上憶良(やまのうえのおくら)の「貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)」です。
「ボロボロの服を着て、ボロボロの家で地べたにワラを敷いて、家族みんな寄り添って泣いています…
カマドには火の気がなく、米を蒸す道具であるコシキには蜘蛛の巣がはってしまい、
ご飯を炊くことも忘れてしまったようです。
そんな貧乏な家に、里長はムチをもって現れるのです…」てな絶望的な内容です。
里長…鬼ですね…
有名なこの歌、出典は『万葉集(まんようしゅう)』です。
そんなたいへんな毎日を送る農民たちなので、8世紀ごろになると行方をくらます者が現れるようになります。
浮浪(ふろう)・逃亡(とうぼう)です。
浮浪は本籍地から逃げ出してふらふらしているところを見つかってしまった者です。
見つかると基本的には本籍地に強制送還されますが、
本籍地がどこかって聞かれても字も読めないし書けないしそんなの分かんないよ、帰れないよ…
などの場合、浮浪人専用の戸籍に登録され、その地で税を課せられます。
逃亡は防人や衛士などに従事している間に脱走し、行方をくらませて見つかっていない者です。
なので、調や庸を納めずに済んでいます。
ただし、両者の区別は当時から曖昧だったようなので、
浮浪・逃亡は厳密に区別するのではなく、セットで覚えておくとよいでしょう。
では、このふらふらしている人たちは今後どうするのでしょうか…
すでに墾田永年私財法が発令されているこのころ、貴族や大寺院は私有地の拡大に夢中です。
この私有地を、初期荘園と呼びます。
私有地を拡大するには、人手がたくさん必要です。
そこで、こういったふらふらしている人たちをどんどん雇うわけです。

土地に関する法令は、
百万町歩の開墾計画→三世一身法→墾田永年私財法の順でしっかり整理しておきましょう。
それぞれのゴロ合わせのページも参考にしてくださいね!
さて、農民はなんとか重い税から逃れようと色んな作戦を決行します。
貴族などの従者である資人(しじん)になろうとする者、
勝手にお坊さんになろうとする者(私度僧)、などなどさまざまです。
また、このころの戸籍で、55人中45人が女子、というものが残っています。
いやいや、いくらなんでもこれはありえないでしょう……
男子の税はとてつもないので、男の子が生まれても戸籍には女ということで登録したのでしょう。
ほかにもやたら長生きな人が見受けられます。
このように、戸籍を偽(いつわ)ることを、偽籍(ぎせき)といいます。
つーか、こんなん絶対バレますやん……
役人もグルっぽいですよね………
とにもかくにも、こんなことをしなければならないほど、
この時代の農民たちは大変な毎日を送っていたのだということです。
それでは、最後に解答を載せておきましょう。

次回は遣唐使についてまとめます。
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